ドンペリ風呂に入って死にたい

躁鬱I型アラサー腐女子の役満日記

家族間の不和について

遠方に住む妹が、遊びにやってきた。私と遊ぶのではなく、母親と遊ぶためにである。
階下から団欒の声が聞こえる。少しいい夕食を囲んで、バラエティ番組を見ながら談笑する二人の声が聞こえる。私は食卓にすら招かれない。パラサイトしている人の扱い方って、どこもこうなのかしら。よくわからん。
躁鬱を罹患して以来、親とは常に対立してきた。人によって悩みは異なるだろうが、私の場合親との不仲については
「どこまでが私の生来の性格に起因する=私が悪いのか。どこからが躁鬱に起因する=私はそんなに悪くないと言えるのか。」
という言葉に要約することができる。実際にはこのような綺麗な二元論では片づけられないものかもしれないし、メンタルヘルスの病気の診断基準に思いをはせると、「生来の性格」なんてものは机上の空論かもしれない。
しかし、私はこの一語をもとになんとか現状の解決を試みている。(結論が出たとして親にはとてもじゃないけど言えないから、結局私の心の中の免罪符にしかなり得ないだろうが…)
心理学、社会学、哲学、宗教…。あれこれ手を出してみたものの、なかなかこの問題をアカデミックな観点から論じている人に出会えない。結局のところ、医学からのアプローチを試みることにした。ある程度の解決が図れたら、このブログに書こうと思っている。私のような脳味噌を拗らせてしまったメンヘラの役に立てるかもしれないから。


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受診しました

今日は診察日でした。ちょっといい病院に行ってます。銀座のとある高層ビルの中のクリニックで、夜景が綺麗やねん。勤め先の本社ビルまでうっかり見えちゃうのが難点やけども。
主治医とは近頃の私の勤め先(と名乗ることもおこがましいほど休職しているが)の対応について、ひとしきりしょーもない悪口で盛り上がった。話のよくわかる知的な医者で、彼と話すことは最近の私の楽しみの一つになっている。
知的な医者って、一見すると頭痛が痛いみたいな変な日本語なんやけども、これがなかなか的を得た表現ではないかと私は思っている。アホな医者って意外といる。めっちゃいる。そういう奴でもいい感じに商売できるのが精神科ね。私は引越しの関係で10個くらいの医療機関を転々としてきたのだが、やっぱり色々だった。病院選びってほんま大事やからメンヘラビギナーの人とかにアドバイスしてあげたい。けど眠い。今度書くかな。


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轟沈

土曜の反動が来た。あれだけ身体に鞭を打ったためか、本当に動くことができない。一日床の住人と化す。Nはこの点、かなりタフだ。同い年なのにどうしてこんなに差が出るんだろう。別に神様が不公平だとは思わない。怠惰な生活を25年間享受してきた私の方に、きっと何か問題があるのだろう。
神様が不公平で思い出した歌がある。
井上涼氏のマチルダ先輩の歌だ。とても有名な方なのでここで改めて書くことでもないが、氏は作詞、作曲、歌、PVのアニメ、編集、全て一人でこなしてしまうマルチプレイヤーなアーティストである。題材も、子ども向けの美術品の紹介、LGBTの問題、奈良市のプロモーションなどなど幅広い。彼の歌が大好きだ。布団の中で動けない時に、よく聞いてきた。
今はさほどストレスフルな生活ではないので彼の歌のお世話になることもないが、復職してしまったらきっとまた、何かとんでもない挫折と自己嫌悪の渦に飲み込まれてしまう。そういう時にまた、マチルダ先輩の歌を聴くかな。聴いて、耐えて、Nの前ではちゃんと笑って、そんな人間になりたい。私だって好きでメンヘラしとるんちゃう、ただ健康になりたいだけなのだ。


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Tokyo city 恐ろしい子やでえ

午後、Nと突貫デートを決行した。カフェで勉強をし、公園を散策し、お寺に行き、ショッピングをし、温泉に浸かり、夜のアクアラインをドライブするというハードスケジュールである。
ところで私は毎週土曜の午前をボランティアに捧げることにしている。何ということはない、ただのエゴイズムの塊だ。
自己肯定感、承認欲求が十二分に満たされた後のデートであるから、夢のようだった。仕事をしていないというコンプレックスが根幹にある以上、このようなことでしか己を満たすことができないのだけれども。

月並みな表現しかできないが、夜の東京湾は綺麗だった。都内に越してきて3年目、東京のことはいつも東蝦夷(アズマエビス)と呼んで嫌悪してきたし、親の仇みたいに思っていた時期もある。その東京がそれほど悪い場所ではないのかもしれない、そう思えたのはNと出会ってからだ。
Nも地方出身なのに、出張も多いのに、彼は一体どうやって東京を好きになっていったのだろう。頑張って探せば、魚料理のお店もちゃんとある東京、東北の日本酒が飲みやすい東京、様々な樹木で彩られた東京、夜景が綺麗な東京…。
私には分からなかった。Nが教えてくれた。Nについて知れば知るほど、私は彼がどういう人間なのか分からなくなる。Nは深い。深いから、掘り下げるのが楽しい。パンドラの箱をぱかぱか開けていく気分。これというのも、惚れた欲目なのかしら。


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貧乳だからできること

突然ですが、胸がありません。
AAAです。トリプルエー。知らないっしょ。Aカップから先のちっさい胸については、Aが増えてくねん。

アラサーですが、いい年してますが、恐れ多くてお店でブラを買ったことがありません。どの面下げてブラを買ったらええんか、そう思っていつも通販で買ってます。今しゃーなしでAカップのブラを着けとりますが、それでもまだブラと胸の間に隙間があります。まあまあの隙間です。多分小さめのおにぎりなら入ります。なにそれ怖い。

一部の特殊性癖の男向けのニーズは置いとくとして、私の胸の存在意義って何なんやろ、一生懸命考えました。中学生で身長160行ったのに胸だけとても平らなままだった時から、太っても胸だけ見慣れたサイズやった時から、ずっと考えてました。
ブラを構成する生地が少ないから環境に優しい…?ブラと胸の間の隙間がいわゆるエアポケットとなるわけだから、緩衝材や保温剤になって災害時の生存率が上がる…?でもそれってなんか私の人生に関与するん?ああ私も「小生はささやかながら胸と呼ばれる膨らみを所持しております」って言ってみたい……(?)

胸がないせいで困ることは色々ある。別にモテるモテないに限った話ではない。そもそもカットソーが着れないし、(前に屈むと胸がこんちわーってなるから)ブラのワイヤーが胸骨?肋骨?をダイレクトに攻撃するからめちゃくちゃ痛い。男と抱き合った時なんか最悪だ。骨が相手の骨とガツンとぶつかるわけやからもう痛いどころの話ではない。多分普通のおなごならここで胸がエアバックとして機能する。痛くない。私は普通のおなごではない。もはや男同士が抱き合ってるのに等しい………?!

…私は男と抱き合うたびに男同士が抱き合っとるんを再現していたのではないか…?…mmむむむ。そうや、身長も160超えてて胸もない。もはや男や。私が男と抱き合うたびに感じたあの痛み、あの苦しみは実はあの攻めもあの受けも、あのCPもこのCPもみな等しくくぐり抜けてきた道……!!!!それでもどの男もみんな抱き合っとる。苦しみを乗り越えて!私にはそれが分かる!そこらへんの腐女子よりも!だって私には胸がないから!胸がないから!!

そっかー!!!だから胸がないんだ!ありがとう神様!おかげで人の痛みを知れた。人の優しさを知れた。胸を失う代わりに、よりリアルな妄想ができるようになった。抱き合う二人。痛む骨。落ち込む受け。そっと触れる胸板。後ろから優しく包み込む攻め。優しい時間。それは胸がないからこそ天から与えられた、甘美なひととき…!

世の全ての腐女子に言いたい。どうかもっと優しい気持ち、深い洞察力を持って、CPのことを見守ってあげてください。胸がないわたくしは、胸がない全ての人々を応援しています。


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2018.11.28-29

2018.11.28
妹がだらしないという夢で中途覚醒。3時過ぎ。
この日も風呂に入れた。熱気による頭痛は取れた。が、前回と異なり汚そうな湯船には浸からなかった。前回はその湯ですら求めていたのか、あるいは判断能力が鈍っていたのか。
この日辺りから出会い系のアプリに手を染める。会おうと言ってくる男にその都度現状を伝える。何十回も自殺未遂と入院の説明。面倒臭いが、今の自分は心底孤独なのだから仕方あるまい。不思議と、先日分かれたばかりのH原については何も考えなかった。

2018.11.29
朝、仕事の夢により中途覚醒、3時過ぎ。
この日から、午前中9時半から11時半までのロビーへの外出が認められる。夢のような大広間。何か催しが開かれており、今日はリラクゼーションとのことだった。参加するものの、ストレッチがとてつもなくしんどい。身体の深刻な衰えを感じる。この日はリラクゼーションと、何より朝方僅かな所持金で買い求めたコーヒーにより、入院以来初めて昼寝を免れた。

お金について
警察に保護された時の格好のまま入院していたため、ポケットの中の財布も病院に届いていた。親がお金を持ってくるまではその財布の千円(私と看護師はふざけて「僅かな所持金」と呼んでいた)で事なきを得た。
ちなみに、K病院では金銭を病院側で預かってもらうこと(お小遣い口座の開設)が奨励されていた。措置入院の患者は院内も含めた一切の外出が禁止されていたので、売店で何か買いたい時には看護師に頼むのだが、その際金銭のやり取りはお小遣い口座を通すように、というルールもあった。つまり、措置入院である以上ほぼお小遣い口座を開設する必要があるのだ。なお、お小遣い口座には管理費として1日100円かかる。急性期病棟(私がいた病棟)の入院期間のMAXが3ヶ月。すなわち最大で9000円が何をしなくとも管理費として徴収される計算になる。休職と入院費のダブルコンボで塞いでいるところにこの9000円は、かなり痛かった。


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2018.11.27

2018.11.27
昨晩も入眠に難ありの記憶。消灯時間は9時だが、眠りに着いたのは12時頃か。
スマホの充電器が届く。この日辺りから親との連絡が取れなくなる。「石に刻まれた時間」は難しく、つまらない。仕方なく読む。
入院案内や契約書をひたすら千切っては鶴を折り続ける私を見兼ねたのであろうか。看護師の計らいにより、折り紙を手渡される。スマホがあるので、鶴以外にも色々と折り方が検索できる。楽しい。薔薇がなかなか気に入った。
前日辺りから、看護師にひたすら主張していたことがある。「私は患者でここは病院だ。であるにも関わらず、私の訴えをまだ誰も聞いていないではないか」ということである。後から考えるとけしてそんな事はなく、恐らく24日のU田医師の回診(記憶にない)で、一通りの主訴は病院側に伝わっているのだ。頭がイカれている私にはそれが分からない。
よし、と名乗り出た者がいる。看護師のK林さんである。「私が1時間、時間を作ってきたる。ちょっと待っとき」とのこと。ほんまかー?と思いながら彼女を見送る。
午後、本当にK林さんが病室に現れた。凶器になりうる物が排除された隔離室なので、椅子などない。白衣を着たK林さんが、床に直敷きの布団に横たわる私に視線を合わせてくれる。リノリウムの床にK林さんをしゃがませたまま、思いの丈を全て話す。涙がこぼれる。親との不仲について訴えたのであるが、具体的に何を話したのかあまり覚えていない。自分の白い細い腕が、床の上にだらしなく落ちていたのは覚えている。そうして1時間が経つ。親との関係は人それぞれとの言をいただく。


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